救いの証し S・Hさん

私が救われた聖書の御言葉
 イエスは答えて言われた。「人はパンだけで生きるんではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」  マタイの福音書4:4

 私は二十歳ぐらいの時に、人間にとって一番難しい事は何だろうかと真剣に考えていました。そして、その答えは、死であろうと自分で答えを出し、死ぬ時はいさぎよく、また男らしく死のうと考えていました。
 何故死であるかと言いますと、死は誰にでも同じように必ず訪れ、そして、死は一回限りで、受験のように何度もやり直すという事が出来いからです。また、人間は死ぬ時が良くなければ、途中いくら良い人生を過ごして来たとしても、決して良い人生とは言えないのではないかと考えていました。
 40数年前になりますけども、日本がオリンピックが開かれたとき、日本女子バレーボールチームが金メダルを取り、日本中が歓喜に沸いた事がありました。当時のバレーボールは、徹底したスパルタ式のトレーニングで、世間を騒がせるほどに猛烈でしたが、精神論もそれに負けじと、すごいものがありました。その時の監督は、鬼の大松と言われた人で、成せば成る、成さねば成らぬや何事も、成らぬは人の成さぬなりけり。と言う言葉を引用してチームを牽引していました。この言葉は、出羽の国米沢藩(現在の山形県)の第9代藩主であった上杉鷹山という人が使った言葉です。どういう意味かと言いますと、願いの成就というものは、勝手に訪れてくるもんではなく、自らの力で作り上げるものだ。思い通りの結果が得られないのは、自分自身が実現に向けて努力をしていないからだと言って強い精神力を持つように叱咤激励し、藩政の建て直しに成功した人です。
 私もこのような考え方で人生を歩んできました。そして、それを並行して、人間には、何故、宗教が必要なのか?宗教とは何なの?という事も考えていました。
 ひと さちや、と言う人が書いた仏教の本も何冊か読みました。仏教について分かりやすく説明していましたが、所詮、仏教は葬式しかやっておらず、人間に希望や勇気や力や夢を与えていないのではないかという疑念を抱き、今ひとつ共感をうることが出来ませんでした。
 私は団魂世代の大量退職による技能の伝承問題が大きく叫ばれて久しい年代よりも、2~3年先輩にあたりますが、満足感のないまま60歳を迎える年に、定年になれば時間的にも余裕が出来るので、教会へ行ってみようと考え、5年前に教会へと導かれました。
 人生の道しるべに迷っていた私に、聖書は行く道を示唆して下さいました。残された人生を、私達が本物の幸福を手にする事が出来る、次の聖書の御言葉をいつも忘れることなく、実践していきたいものだと思っています。

  いつも喜んでいなさい。
  絶えず祈りなさい。
  すべてのことについて感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神が
  あなたがたに望んでおられる事です。
                        テサロニケへの手紙 第一 5:16~18

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