信仰声明

1.旧新約聖書が原点では神によって逐語に霊感された誤りのない神に御言葉であること、そして聖書が信仰と生活との最高の権威であることを信する(Ⅱテモテ316)、なお神が細かなところまで御心をとめ、摂理をもって各時代を通して描かれた御言葉を守り、今もっている聖書を、原点で賜ったと同じすべての要素の細目があり、救いに必要なすべてのものが含まれていることを確信する。

 

2.性質も力も栄光も等しい父と子と聖霊との三位各であり、永遠にいます唯一の神を信ずる。主イエス・キリストの神たることと聖霊が父と子と別の位各たる神であることを信ずる。(ヨハネ112141626

 

3.聖霊によってみごもり、処女マリアから生まれたイエス・キリストが、永遠に神の生み給う子であり、彼が真の神であり、真の人であり、神と人との間のただ一つの仲保であることを信ずる(ヨハネ316、ルカ13435、Ⅰテモテ25)。

 

4.人間はもともと神の像に造られたが、罪を犯して自分自身とその子孫に肉体の死ばかりでなく、神から離れている霊的死までもたらしたこと、全人類は肉体の誕生によって罪の性質をもっている故に、思いも言葉も行為も罪人であり、従って神との交わりを回復せられるのには、人間が神の御霊によって生まれ変わらねばと信ずる(創世記12627、ローマ62351223、ヨハネ335

 

5.最初の地位から離れて堕落し、軍勢を共に神に背いた被造物なる悪魔自身の存在を信ずる。人間を堕落させた彼はこの世の神であり、やがて火の池に永遠に投げ込まれる(ヨブ1:6、エゼキエル2812-14、イザヤ1412-14、ユダ6、創世記31-15、Ⅱコリント44、黙示録2010

 

6.「キリストは聖書の示す通りに、私たちの罪のために死なれた」すなわち彼の死が人間の罪の身代わりの犠牲であること、そしてすべて彼を信ずる者が神の前に義とせられること(義と認められこと)、そして永遠の生命を与えられること、これはただ、流し給うた御血に基づくキリストの御価値によることを信ずる(Ⅰコリント153、ローマ45、Ⅰペテロ318、ヘブル1012

 

7.救いは信仰により恩恵によること、主イエス・キリストを信仰によって受けたすべての者は聖霊によって生かされ、神から新しい生命を与えられて、神の家族の中に生まれ変わらされることを信ずる(エペソ28、ガラテヤ326、Ⅰヨハネ512

 

8.信ずる者はすべて直ちに

(1)御霊によって生まれ(ヨハネ336、Ⅰヨハネ51

(2)御霊によりてバプテスマを受け(Ⅰコリント1212-13、Ⅰヨハネ220,27

(3)御霊によりて内住を受け(Ⅰコリント619、ローマ89-15、ガラテヤ420,27

(4)御霊によりて神のために印せられること(エペソ113430)を信じる。

 

9.イエス・キリストが三日目に死人の中から肉体をもってよみがえる、天に昇り、今、全能の父なる神の右に我らの大祭司また助け主として座したもうことを信ずる(ルカ2439、使徒19

 

10.「空中にて」主にまみゆるため、その民を取り上げ、主自ら天より来られるとき、救われた者はその瞬間に栄化されて携挙せられることを信ずる(Ⅰテサロニケ416-17

 

11.我らの主イエス・キリストが地上にその王国を打ち建てるために、千年期前に肉体をもって自ら来られることを信ずる(使徒111、黙示録204

 

12.滅ぶる者も救われた者も、両者の死人の肉体的復活、救われた者の永遠の祝福、滅ぶる者の永遠の意識的刑罰とを信ずる(ヨハネ528-29、Ⅰコリント1522-23、Ⅰテサロニケ414-17、黙示録205,11,14,

 

13.信者は、すべてのキリストの体なる教会に、キリストと生命的に結合されている。この体は主イエス・キリストの救いの恩恵と力とを証する。信者は永遠の確証をもつ(ヨハネ6371028-29

「異言を語ること」は、ただ制限をもって、ただ通訳者のある場合にかぎり用いられるべき初代教会の一つのしるしの賜物であることを信ずる(Ⅰコリント141-1922-28

 

14.主の聖餐は、主イエス・キリストの命にしたがって守るべき記念の祝典であると信じ(ルカ2219-20、Ⅰコリント1123-26)、信者は主イエス・キリストの命にしたがってバプテスマを受くべきこと、バプテスマは服従の行為であって、救いの秘蹟のいかなる意味も含まれていないことを信ずる(マタイ2819